ギバー・テイカーの幸福度(成功)と日本の教育(ギバー・テイカー前編)
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集団に従う子どもを育てる日本――「いい人」の教育が自己犠牲につながるまで
日本人は、なぜ自分の利益を主張することをためらい、周囲に合わせることを道徳的に正しいと考えやすいのでしょうか。
日本の学校教育には、子どもを集団の一員として訓練し、同じ時間に、同じ行動を取り、集団の秩序を乱さないようにする仕組みが、制度として組み込まれています。近代日本の学校制度には、読み書きや近代国家に必要な知識を普及させる目的もありました。一方、明治期には兵式体操が学校教育に導入され、整列、号令、規律、身体の統一的な動作が重視されました。師範学校でも兵式体操や寄宿舎での規律訓練が行われ、学校が国家に必要な規律ある国民を育成する役割を担ったことは確認できます。
その後、戦前の国民学校では、自由主義や個人主義が排撃され、国家と集団への献身がより強く求められるようになりました。
戦後、日本の学校から軍事教練そのものはなくなりました。しかし、集団生活を通じて子どもを形成する仕組みは、形を変えて残りました。
現在の学習指導要領でも、特別活動の目的として、集団への所属感や連帯感を深め、協力して学校生活を築く態度を育てることが掲げられています。学級活動、生徒会、学校行事、当番、係活動、掃除、給食、運動会など、日本の学校には、授業以外にも集団の一員として行動する訓練が非常に多くあります。
空気を読む文化が生み出す社会
集団活動そのものが悪いわけではありません。
他人と協力する力、役割を分担する力、公共の場を維持する力は、社会生活に必要です。日本の学校教育が、秩序、清潔さ、責任感、時間を守る習慣を育ててきた点には、明らかな長所があります。
問題は、「協力すること」と「集団に逆らわないこと」が混同される場合です。
日本の学校では、子どもが自分の意見を持つことよりも、全員が同じ行動を取ることが優先される場面があります。
一人だけ違うことをする。
納得できないと理由を尋ねる。
多数派に反対する。
自分にはできないと断る。
学校や教師の方針に異議を唱える。
こうした行為が、正当な自己表現であっても、「協調性がない」「わがまま」「空気が読めない」と評価されることがあります。
集団に合わせる義務があるが、責任は個人が負う社会
日本の教育を論じた研究でも、学校生活の面では集団主義、さらに同調主義が強い一方、学習上の失敗は個人の努力不足として処理されやすいという指摘があります。つまり、行動は集団に合わせることを求められるのに、責任は個人に返されるのです。
これは国家運営や組織運営から見ると、非常に都合のよい構造です。
成功するときは「みんなのおかげ」。
失敗すると「本人の努力が足りない」。
集団の決定には従わせる。
しかし、個人が受けた損害について集団は責任を負わない。
この環境の中で、子どもは早くから、自分が非難を受けないために、集団に意見そろえ、感情を抑えることを学びます。
自分だけ得をしてはいけない。
自分だけ楽をしてはいけない。
周囲が我慢しているなら自分も我慢する。
困っている人がいれば自分が助ける。
頼まれたことを断るのは申し訳ない。
集団のためなら自分を後回しにする。
これはギバーにとって美徳に見えます。でも、本人が自由意志で「そうしたいから」選んでいるのではなく、拒否すると周りから非難されるから危険回避で選択している場合があります。それは、自発的な利他行動ではありません。
「ギブしなければ仲間として認めない」という、事実上の強制です。
だから、他人のために犠牲になることは美しいという価値観を自ら口にし、認めている様子なのに、本人の心の奥には本人さえ気づいていない不満が蓄積し、生き生きとした活力をうしなってしまいます。
同調教育といじめ
日本の学校におけるいじめも、個人と個人の単純な対立だけでは説明できません。
固定された学級という閉鎖的な集団の中で、「この子は自分たちと違う」という認識が共有されると、からかい、仲間外れ、無視、嘲笑が集団化する事件が発生します。帰国子女や異なる価値観を持つ生徒が、日本の学校文化の中で「異質」とみなされ、いじめの対象になりやすいという指摘もあります。
いじめは多様であり、すべてを同調圧力だけで説明することはできません。でも、いじめが集団力学の中で形成され、周囲が沈黙することで周りに浸透していく現象であることは、多くの研究で論じられています。
日本型の集団では、直接攻撃する人だけが問題なのではありません。
「自分が次の標的になりたくない」
「みんながそうしている」
「被害者にも何か原因があるのではないか」
「集団の雰囲気を壊したくない」
こう考えて、周囲が攻撃に同調するか、見て見ぬふりをする。その結果、イジメのターゲットになっている人は直接のいじめだけでなく、集団からの疎外感にも苦しみます。学校で教えられる「集団に迷惑をかけない」という規範が、状況によっては、集団が間違っていても異議を唱えない。集団のいじめという間違った行動を、だれも是正しようとしないということになります。
「いい人ほど賃金が低い」という研究は実際にある
このようにして、集団に同調することを小学校から教育され、集団のための自己犠牲まで学ぶ日本社会ですが、ここで生まれたギバー体質は得なのでしょうか?
ギバー:受け取る以上に、他者に時間・知識・人脈・労力を提供する
テイカー:自分が提供する以上の利益を得ようとする
マッチャー:与えられた分だけ返す。あるいは、自分が与えた分だけ返してもらおうとする人です。
重要なのは、これは「善人・悪人」という人格分類ではなく、他人との利益交換における行動傾向だという点です。
これは心理学で研究されています。組織心理学者アダム・グラントの『GIVE & TAKE』研究で非常に面白いのは、単純に、
ギバーは負け、テイカーは勝つ
という結果ではなかったことです。
実際には、ギバーは仕事の成果分布の最下位にも多く、最上位にも多い。最下層に多いギバーは搾取されるギバーです。ここにならないように、気を付けることは必要です。そして、できることなら最上位のギバーになれば、社会も安定し、よりよい世界になるんじゃないかなと思います。
搾取されるギバー
頼まれれば断れない
自分の仕事より他人の仕事を優先する
見返りを求めることを悪いことだと思う
他人の功績にされても黙っている
相手がテイカーだと分かっても助け続ける
自分の時間・健康・利益を守る境界線がない
テイカーやマッチャーは、その中間に集まりやすいとされています。エンジニア、医学生、営業職などの調査で、ギバーが最低成績にも最高成績にも現れるという、両極端の傾向が紹介されています。
成功するギバー
自分の専門性や本来の仕事を守る
助ける相手と助け方を選ぶ
時間や労力に上限を設ける
テイカーからは距離を置く
個人を助けるだけでなく、仕組みを作って多くの人を助ける
自分の成果や貢献をきちんと記録し、説明する
したがって、成功を分けるのは「与えるかどうか」だけではありません。
自分を犠牲にして与えるのか、自分の利益も守りながら与えるのか
ここが決定的に違います。この搾取されるだけではない人になるための教育を米国ではやっています。ここを次の記事で説明します。ぜひ続きも読んでくださいね。
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