れいわ新選組のコロッセオ政治-国会を「場外乱闘・闘技場」に変える人々

れいわ新選組の国会質疑や、日本保守党・百田尚樹氏の発言を見ていると、不思議な共通点が見えてくる。政策や制度の議論そのものよりも、強い言葉や対立の構図が注目を集め、支持者はそこに拍手を送るのである。

政治の目的は法律を作り、予算を審議し、社会の問題を解決することだ。

「誰が相手をやり込めたか」を競う古代ローマのコロッセオー見世物にしてはならないはずだ。
小笠原理恵 2026.06.07
誰でも

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カシミール88
@kashmir88ks
【人殺しビジネスと叫ぶ‼️奥田ふみよ】

奥田ふみよ、小学生にもわかりやすくと

高市総理に武器の説明を求める

「人の命を守るためのもの」との答弁に対して

奥田

「日本で武器というのは人殺しの機械

海外に売り飛ばし、金儲けをする、子供を殺す

他国の政府は必ず日本にやり返す
2026/06/05 16:51
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なぜ人は「問題解決」より「怒りの代弁」を支持するのか

れいわ新選組の奥田芙美代議員が参議院予算委員会で「武器というのは人殺しの機械です」と繰り返し発言し、委員会終了後に「不適切な言辞があった」との指摘を受けた。

なぜ、このような国会議員の過激な発言が一部の人々から高く評価されるのだろうか。

国会で武器を「人殺しの機械」とレッテル貼りすることは、予算審議と無関係だ。

防衛装備移転三原則・運用指針の見直しは、国会で法案として審議・採決するものではなく、政府の閣議決定・国家安全保障会議決定で行われる政策判断である。ただし、国会はその妥当性、説明責任、予算・産業政策・輸出管理上の影響について政府を質すことはできる。

奥田氏がこの改定に不満があるのであれば、国会議員としてやるべきことは、「人殺しの機械」と叫ぶことではなく、例えば「5類型撤廃後の第三国移転管理」「紛争当事国への移転禁止の実効性」「国会関与の強化」「個別案件の情報公開」のような具体論を詰めるようなこと。これが国会議員としてなすべきことだ。

ここで、問題なのは、なぜ、正しい政策論争よりも、強い言葉や攻撃・衝突がある一定数の支持を集めるのかだ。

私は最近、この現象を見ていて、ある光景を思い出すようになった。

古代ローマのコロッセオである。

政治が「見せ物」になる瞬間

古代ローマの市民はコロッセオで剣闘士の戦いに熱狂した。

国政政党が「見せ物」となっているのではないか。

観客は興奮し、歓声を上げ、怒り、熱狂する。

観客が求めているのは、必ずしも法律や制度の改正ではない。

本来、政治の目的は法律を作り、予算を配分し、社会の問題を解決することである。しかし、現代の政治空間、とりわけSNSと結びついた政治では、感情の代弁を政治家に求めているようだ。

自分が抱えている怒り。不満。孤立感。理不尽さへの反発。

それらを政治家が代わりに叫び、相手を攻撃し、権力者を罵倒し、一時的に敵を打ち負かしているように見せる。支持者はそこに拍手を送り、「よく言った」と喝采する。その瞬間、怒りは共有され、感情は満たされる。

しかし、それでは法律も制度も改善されない。生活は豊かにならず、消費税はゼロにならないし、農業制度は変わらず、お米がたくさんできることもない。

政治がコロッセオ化すると、有権者は問題解決じゃなく、怒りの感情を共有することを重視するようになる。怒りを発散することと、社会を変えることは同じではない。

彼らの中で、これは混同されている。

私たちは、「誰が一番激しく怒ったか」ではなく、「誰が何を実現したのか」を見なければならない。

では、実際に社会を変える政治とは何だろうか。

怒りを表現することではない。法律を変えることである。そのためには国会で法案を提出し、多数派を形成し、成立させなければならない。

国政とは何か

国会とは法律を作り、予算を審議し、政府を監視する場所である。そこでは条文を読み、修正案を作り、多数派を形成しなければならない。地味で時間もかかる。

政治は退屈で時間のかかるものだ。

れいわ新選組は消費税ゼロを掲げったが、税制を変えるための法案提出をしようと考えると野党ができるのは、議員立法だ。議員立法を提出するには、

衆議院では原則20人以上の賛成者が必要。

参議院では原則10人以上の賛成者が必要。

さらに税制改正など予算を伴う法案は、

衆議院50人以上

参議院20人以上

の賛成者が必要となる。

れいわ新選組は参議院が5 衆議院が1 議員立法ですら、党内だけで提出する人数がいない。消費税を変えたり、法案を変えたりするには他党との協議が必要だ。しかし、れいわ新選組は強い主張を行う一方で、消費税ゼロの実現に必要となる他党との合意形成や多数派形成の取り組みを行っている姿が確認できない。少なくとも国会での発信を見る限りは他党を攻撃するばかりで、協調しつつ内容をすり合わせている様子は見られない。

国会は不満をあらわに大泣きし、叫んで、悪態をついて、強烈な印象や不快感で法律を変える場ではない。そこは民主主義で多数決の法則がある。このことを支持者たちは気付かない。私のYouTubeチャンネルに以下のようなコメント投稿があったが、「無能は法律をクビ」にする公約があるから推していても、現状では法案の改正法案をだす力すらないのだ。

上記YouTubeにきたコメント

上記YouTubeにきたコメント

「メダカピラニア」という言葉

めだかピラニア

めだかピラニア

れいわ新選組を離れた多ケ谷亮氏は、SNS上で攻撃を繰り返す一部の支持者を「メダカピラニア」と呼んでいる。一匹一匹は小さい。小さいが集団で噛みついてくる。

SNSを見ていると、確かに特定の対象へ集団的な攻撃が行われることがある。

それは政策論争ではなく、人格攻撃や罵倒だ。つまり、悪口でしかない。そして、そのような空間では、穏やかに議論する政治家よりも、罵倒する政治家の方が評価されやすい。

彼らが求めているのは政治ではなく感情を高ぶらせるパフォーマンスだからだ。

問題は「勝ったような気分」になれること

ここにコロッセオとの共通点がある。

剣闘士の試合を見ても、観客の生活は改善しない。

税金は下がらない。

食料価格も変わらない。

しかし観客は興奮する。

熱狂する。

勝ったような気分になる。

現代の政治でも同じことが起きる。

国会で激しい言葉が飛び交う。

委員会が止まる。

相手を怒らせる。

支持者は「よく言った」と喝采する。

だが、その結果として法律が変わったのか。

予算が成立したのか。

政策が実現したのか。

そこは別問題である。

何にも変わらない。

つまり政治が見せ物になると、人々は成果ではなく興奮を消費するようになる。

法制度を変えることが国政政党の役割

政治に怒りは必要だ。

問題意識も必要だ。

権力への批判も必要だ。

しかし、それだけでは社会は動かない。もし政治が「誰が一番激しく怒るか」を競う競技になったならば、それは国会ではなくコロッセオである。場外乱闘にすぎない。

重要なのは、

「この政治家は何に怒っているのか」「どれほど激しく怒りを表現したか」ではない。

「この政治家は何を実現したのか」「この政治家はどの法律や制度を動かしたのか」だ。

見せ物としての政治は一瞬の興奮を与えてくれる。しかし法律は作らない。予算も成立させない。社会も変えない。

私は長年、自衛隊員の待遇改善に取り組んできた。国会議員への説明、請願、資料提出、制度改正の働きかけ。そこで必要だったのは怒鳴り声ではない。私は国会議員との折衝で怒鳴ったり、デモや示威行為、嫌がらせをしたりはしない。制度を変えなければならない根拠と資料を集め、説明し、多数派形成をした。

制度は怒りでは変わらない。手続きによって変わる。政治をコロッセオにするのか、それとも問題解決の場として機能させるのか。それは政治家だけではなく、有権者自身にも突きつけられている。一般の有権者も、「選挙」と「請願」で政治を変えることができる。私は請願を行った。合法的に、平穏に、政治は変えられる。

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